二○隊が応答しません
山上は通信機から目を離さないまま、緊迫感に恐怖の色を上塗りした声で、報告した。俺は聞き返す。
三ツ目野郎の所在は?
直接には二○隊が追っていたので、今は正確な位置はわかりません。A-3出口付近の二六隊が二○隊をフォローしていましたが、見失っています。おそらくコンコースを上っているものと思われます
二○隊は、三ツ目野郎を直近で捕捉していた前線部隊だ。ただ、こちらから仕掛ける指示はまだ出ていなかったし、交戦距離ではなかったはずだ。突然交信が途絶えるはずはなかった。
だが、途絶えた。
相手は、単騎だぞ?
おそらく、二○隊は、食われたのだろう。これで交信が途絶えた部隊は、八つ目だ。冷汗が、吹き出る。相手は、人智を超えていた。距離は保っていたはずだ。爆発音でも聞こえていればまだ納得がいくが、それもない中で一瞬で誰一人と通信できなくなるなんてことは、ありえない。
バケモノが
A-3出口付近のA-1、A-2、A-4出口に続くコンコースは、改札前から真っ直ぐにつながる1本と、逆側の改札から迂回して接続するもう1本の計2本ある。そのどちらかに、三ツ目野郎がいる可能性が高かった。
コンコースに蛾を送れ。状況を前站へ報告しろ
俺が指示すると、中原が弁当箱サイズのクラムシェルを展開し、中に収められていた掌サイズのヘリ型ビークルを飛ばした。クラムシェルの下部に配置されたゲームコントローラのようなボタンでそれを操作し、コンコースの方へ飛ばす。『蛾』と呼ばれる作戦級小型偵察器である。だが、この『蛾』が有効に機能するかどうかは疑問があった。
神妖の動きは静から動への切り替えが余りにもドラスティックで、人間相手の従来の訓練では全く対応しきれなかった。常に後手を強いられ、先手を打ったつもりでも丸ごと飲み込まれる、いつも、こんな具合だ。
幸い、『蛾』はまだ目標を、こちら側からはそれなりの距離を保った地点に補足することが出来たようだ。
います。北口改札側のコンコース中ほどに目標、それと、無数の……傘
ふざけやがって
中原の報告を受けて、俺は吐き捨てるように、言ってしまう。これが、近隣国の軍隊や、テロリストの類なら、まだ真正面から思考を巡らせ、持てる知識を総動員して現状に当たりもできる。だが、相手が「地下鉄の遺失物留置コーナーに大量に埋積された、傘」だなど、誰がまともな思考で対処できるだろうか。
『蛾』から送られてくるのは、8K光学、高感度光学、赤外線、超音波のリアルタイム映像3種類と、音声。それに、オプションでスーパースローの蓄積映像。目標は、8K光学によって、クラムシェルの上部スクリーン部分に映し出されていた。目視が可能なタイプだ。
ラッシュアワーの乗換駅で発言したこの神妖によって既に百人単位もの人間が殺されているし、恐らくは二○部隊が戦闘不能を被っている。だが、その凶器が銃や爆弾ではなく、「ただの傘」であるのは「ふざけている」としか言いようがないのだが、それ以上に「ふざけている」のは、その無数の殺人傘を引き連れている存在が、人間の女の子のような姿をしていることだった。女の子、いや、そう形容するのは間違いはなくとも語弊があるかもしれなかった。腐った、死体が歩いているような姿。大量の傘を引き連れて。この神妖を、作戦上は「リメンバアンブレラ」と呼称していた。ただ、俺はあの、爛々と揺れる左右色違いの目と手持ちの傘に描かれた禍々しい目玉を指して、こう呼んでいる。
三つ目野郎が……。っ!?
『蛾』からの映像を覗き込んでいた俺が、憎々しげに呟いた瞬間、俯いて海藻じみた髪の毛に隠れたその怪貌が持ち上がって、モニタ越しにこちらを見た。死の覚悟と吐きそうな不快感をミンチにして口の中に押し込まれれ、それが食道ではなくて背骨を伝い、全身と脳味噌にしみこんでくる。死体のようなものが歩いているという気味の悪い光景というだけでは説明がつかない強烈な、生理的では表現できない想像を絶する、不快感。
ぐっ
吐いた。ただ、カメラのモニタ越しに目が合っただけなのに、仮にも隊長の覚悟がある筈の俺は、しかし無様に嘔吐した。その不快感を精神的に抑え込むことも叶わなかった。横でモニタをチラ見してしまった中原も、胃液を吐き捨てている。
実際に匂いはしないし感触もない。だが、腐敗物の匂いを鼻先に近づけられたようでもあり、喉の奥に長いものを押し込まれた時のような感覚でもあり、だがそのどちらもない。反射的というか生理的というか、体に備わった反応として、嘔吐していた。
ふざ、け、るな……
一度、モニタ越しに視線を受けただけでもう、体が覚えてしまった忌避感。もう二度と見たくないという感覚を、なんとか抑え込んでモニタに視線をやると、リメンバアンブレラはもうこちらを見ていなかった。折れた足で、足首のない足を引きずりながらゆっくり進むその後ろ姿だけが、無数の傘の合間に見えている。見た目はボロボロで、まるで戦闘力が高そうに見えない。
ずるずると歩くリメンバアンブレラ。今は、取り巻きの忘れ傘の群れの合間から背中だけが見えているが、その左手だけが、こちらを、すい、と、指さした。
刹那、『蛾』の最も近くに浮遊していた傘が一本、カメラに向かって飛来し……映像が途切れた。あの神妖はこうして、傘で串刺しにして対象を破壊する。対象となるのはほとんどが人間だが、都合が悪ければ人以外もこうして破壊するところを見ると知能も高いらしかった。
まるでぼろぼろの腐った死体のようにしか見えないが、そうした様子は神妖には典型的な姿である。ほとんどの場合、ああした出来の悪いホラー映画の登場キャラのような姿をしていて……人間は出来の悪いホラー映画のようにざくざく殺されていく。こうした神妖一柱に対して、いつも3桁、巨大なものの場合は4桁の死傷者を出していた。
……みりゃわかる。武器を持て
『蛾』は、通常その小ささ故に戦場で発見されることも少なく、発見されたとしても破壊するには火炎放射器やショットガンなどの面制圧可能な道具でも使わない限りは困難を極める(戦場に虫取り網を持ってきている優秀な兵士がいるのなら話は別だが!)。また、発見されない内に適当に撮影しやすい場所が見つかれば飛行を止めて設置し撮影にのみ電力を割くこともできるので、実現レベルで30分以上の運用が見込まれている。手元まで戻すことが出来れば5分程度で90%のリチャージも可能であり、屋内や市街地での戦闘では十分なキャパシティを持っている。使用不能時の報告の訓練はしているが、実際に使用不能になったことは、初めてだった。
―こちら二六隊。リメンバアンブレラが、50センチ毎秒にてA-2出口方向へ進行中。地上へ出るつもりなのかは不明。前站、交戦許可を。 ―こちら二八隊。後進の途絶えた二○隊の戦闘不能を目視で確認。得物は傘。二八隊が乙地点を引き継ぎます。 ―前站より二八隊。リメンバアンブレラ地上へ出すことは何としても防ぐ。二六隊とで角位挟撃せよ。二五隊、二一隊、三○隊、2-A出口へ向かい、二六、二八両隊と合流して援護。状況を見、こちらの指示にてA-4、A-1出口より退却。第三輜重隊はA-2出口へ向かえ。指向爆薬を使用してコンコースへ押し返す。二八に合流する。一旦店舗階に上がり、階段合流地点で支援、爆薬使用時には商店街へ退避。
地下コンコースの上のフロアは地下商店街になっている。この先、出口の手前で階段でコンコースと合流していた。通常は味方誤射を避けるため平行挟撃はしないが、階段の高低差を使えば(味方が不用意に前に出てこない限りは)流れ弾は地面に突き刺さるだけ、屋内戦闘にも拘らず威力面の考慮から有り難くも使用許可が下りたG42AE2による惨いフレンドリーファイアは避けられそうだった。
―一八隊より前站。迂回コースを通って二八隊に合流し、階段口より支援砲火を行う。移動の許可を。 ―前站より一八隊。支援行動を許可する。ゴー
山上が許可を得たのを確認し、上に向かうエスカレーターへ走る。勿論停止している。がんがんと金属質の足音、人間相手なら位置を察知されるのを危惧してしないことだが、相手がアレであるなら気にする必要はない。足音など気にしないか、あるいはそんなものなくても既に場所を知られているのだ。俺達一八隊は、一旦店舗階へ上がって、合流階段まで一気に移動した。
5人前後で一部隊、一三から二四の斥戦隊、二六から三三の後砲隊、一から四の輜重隊、前站部とが、この作戦に参加している。ただの地下鉄駅に、ただの一つの目標に対してこの人数の設置は、完全にオーバーキャパである。が、神妖との戦いは、常にこうしたものだった。
今日、日本はこうした有事に夥しい費用と……人命を支払っているのだが、他の国からは完全にお笑い草になっている。神妖との戦いのために軍備拡充を行う日本に対して、「エイプリルフールは4月1日だけにすべきだ」「テロリストは国内に存在しないと主張したいのはわかるが、そろそろ子どもの言い訳も限界だぞ」「メリン神父でも派遣すればよいのかね?」と冷笑とともに、日本の不用意な武装はアジアの不安定化につながると圧力がかかっていた。
国際社会は理解も示さず、日本は外交的にも厳しい立場にある。特に米国からの不信感は強い。何らかの「友人の有事」を認めた米国が支援を申し出た軍事的な支援に対し、不特定多数の地点に米国の軍事的影響を設置することになるとして市民が反対の声を上げているためそれも拒否せざるを得なくなっており、支援を受け入れない日本に対して米国は不審を抱いているからだ。
こんな訳の分からない存在を相手にしていると、実際に説明を受けたとして、自分が他の国の人間ならやはりばかげていると突っぱねるだろう。しかも訳の分からない「魔法」のような力で破壊活動を行っているだなんて。
だが、目の前で起こっているのは、こうした実際の流血と死である。神妖の起こす破壊活動を、我々は皮肉を込めて『キセキ』と呼んでいた。
今回の『キセキ』は、今朝0731に報告が上がった。
今、地下には、傘で殺された市民と兵士の死体が串刺しになってあちこちに留められた光景が広がっている。相手はテロリストでも隣国の兵士でもない。
神妖《カミサマ》と呼ばれる、化け物だ。
秋来宮駅は、一日当たりの乗降者数が近年で突然増加した駅である。
元々は、大きな古墳が埋没しているとして重要文化指定され建造物の建築を大きく制限されていた地域であったが、6年前調査が概ね完了し建築制限が縮小されたことから、急激にベッドタウンとして発展を始めた。古墳跡を取り巻くように公立公園が整備され環境もよく、秋来宮駅を抱える公団地下鉄外縁都心線は都心へのアクセスも良い上、大型バスターミナルへの乗換駅としても機能していた。今では地下鉄の出入り口のキャパシティを超える人口を抱えるに至り公団はこの駅の回収を余儀なくされているが、駅としては財政的に黒字を更新し続けていることもあって嬉しい悲鳴となっている。
毎日階段エスカレータエレベータは押し合いへし合い、日本のラッシュアワーは古墳とともに世界に誇る文化だなと揶揄されるほどだが、秋来宮駅自体は古くは廃線となった地上鉄道駅を前身に持つ歴史ある駅だ。地上部分は勿論、地下についても必要な部分については増改築によって構成されており、古い構造を保ったままの部分も多く存在する。構造だけではない、蓄積された歴史自体は今の清涼感ある近未来的なデザインの出入り口には、大凡似つかわしくない古いものである。
東風谷早苗は秋来宮駅が好きになれなかった。毎日毎日混雑する地下道は階段を降りるときからずっと順番待ち。自分の足で歩くというよりベルトコンベアに乗って運ばれているような感じが、親の決めたレールの上を走らされる無力感と重なるからだ。朝から無気力が増幅していく。地下鉄に乗ればそれはまさしくその通りで、レールに乗る前から指定済コースをいかされるのだなと、ありていに言えば、思春期らしい不満感を鬱積させていた。
何とかというアーティストの「乗車権」という歌の歌詞とか、なんとかという作家の「夢十夜」という小説の七節目を交互に思い出しては乗るも降りるも本当は自由だし、乗るも降りるも救いはないのだと、考えていた。そんな行き止まりを思い知らせてくれるので、東風谷早苗は、秋来宮駅が好きにはなれなかった。
元々綺麗なマイホームマンションへという親の見栄で引っ越してきた秋来宮だが、それもまた反発感を生む原因になっている。昔住んでいた烏山あたりに戻りたいと、ぼんやりと思っている。
あ、傘、忘れてたんだった
ベルトコンベアならぬ人間コンベアでだらだらと運び込まれて運搬される順路指定から外れる小気味よさもあったかもしれない。東風谷早苗は一昨日登校時の大雨に持ち出した傘を帰りには手に持っていないことを思い出し、恐らく駅で失くしたに違いないと思っていた。それを、これから訊ねようというのである。幸い、時間はまだあった。
つまるところ、この秋来宮駅の落し物集積庫というのは、かくした改修済み区画の綺麗さにはそぐわぬ古い場所にあるということだ。受付も然り。東風谷早苗自身、あまりこの駅が好きではなかったこともあり落し物センターのある区画に来るのは初めてのことだった。
増改築を経た区画では壁も天井も白やパステルカラーを基調にした明るい印象の配色で、鋭角になり過ぎない程度に直線を基本にした現代風のデザインになっている。それが、人間コンベアを外れて進むにつれ徐々に、クリーム色やオレンジ、ブラウンを多用した野暮ったい色合い、やたらと曲線が多く柔らかい印象を通り越して、いわゆる昭和っぽい古臭い印象を否定しえないデザインへと変わっていく。アスファルトむき出しの側溝にひびが入り、カルシウムの白いかさぶたが今も湿り気を帯びて光を照り返している。その照明も、ここではいまだに水銀系蛍光灯を使用しているらしい、LEDの青みがかってやたらと喧しい光ではなくなっていた。
東風谷早苗には、そうした古い区画の方にむしろ、安堵を覚えていた。幾ばくか気の晴れた様子で、落とし物センターのガラス戸を開く。
すみません
窓口には、一見して誰も居ないようだった。確かに、朝から忘れ物センターに来る人もいないだろう。運行全てをオートメーション化され、人の手がなくても時間通り安全に循環するまでに進化した今日の地下鉄でも、ラッシュアワーともなれば人手はホームの方で必要になる。こちらに人がいない訳ではなかろうが、手薄になっても仕方がないと思われた。
東風谷早苗は、しばし佇んだ。カウンターの向こうに人の気配もしない、直ぐに対応を受けるのなら時間に余裕があると思っていたが、ここで待っている時間も見込んでのことではない。周囲を見渡し、誰でもいいからいないかと思ったが、時折改札へ向かう通勤の往来があるだけで、職員の姿はない。
……鉄オタが欲しがりそうなもの、とってっちゃうぞ……?
もちろんそんなつもりはないのだが。例えばあそこにかかっている駅員服なんて、欲しがる人はいるんじゃないか。帽子もセットでかけられているのだから、好きな人は好きそうなものだ。それにしても、あちこちに上着がかけられている。上着掛けの散在も変だが、この時期はまだ真夏ではないのだから上着は着たまま勤務するのではないだろうか。
まあ、私には駅員さんの詳しいことはわからないけれど
だが、さすがに。
いくらなんでも、気配が無さすぎやしないか?
忘れ物センターとはいえそれ専門の窓口ではない、他にもなんだかわからない事務業務もここで行われているような設備だ。奥には何らかの機器もある、書類の入った棚もある。無防備が、過ぎる。
あのぉ……!
大きめの声で、カウンターの内側へ呼びかける。
ふっと、外を見た。
忘れ物窓口のある部屋は、コンコースからはガラス壁で仕切られている。外の古い区画も、新しい区画に比べれば圧倒的に人は少ないものの、人の行き来はある。だというのに、この部屋の中は、ひどく世界から隔絶された空気に満たされている。外は人の体温と機械の熱気でむんとしているのに、ここは冷たい。なのに、澱のように滞っている。外は雑踏とアナウンス、地下鉄の走行音と改札の警告音で喧しいのに、それらすべての音は分厚い壁を隔てたように遠い世界だ。
室温とは別に、肌寒さを感じた。何か、毛穴の一つ一つが緊張して、ぞわりと逆立つような感覚。ソフトボールで打球が顔を掠めるとき、運んでいた跳び箱を手から落としてしまい間一髪で足の上を外れたとき、包丁で野菜を切っているときに刃物が皮一枚の差で手の肉を切らなかったとき、そんな、感覚。
急に、そこにいることを体が拒否した。頭や理性じゃない、体が、その部屋から出ろと訴えていた。
東風谷早苗は、飛び出すように部屋を出る。
ばきっ
何か鈍い音が聞こえたと、視線を巡らせて原因を探る。いつもなら気にもしないかもしれない音、ただ、ただ、ちりちりと指すような不安感が脊髄を焼く今は、缶が転がる音でも跳ね上がっただろう。
何?何!?
そして東風谷早苗は音の原因を探り当てた。不可解だ、と優秀でもない思考回路がその映像に至るケースを必死に演算している。だが、妥当な回答は得ない。
今飛び出してきた忘れ物センターとコンコースとを遮るガラス戸を、傘が、貫いていた。傘の長さの中ほどまでがガラスに埋まっており、半身がこちら側に飛び出ている。ただの、傘だ。だが先端の突起は無骨に鋭く、見た目だけでも恐怖を煽ってくる。
えっ、どういうこと……?
傘が突き刺さった位置は、東風谷早苗がその一瞬前まで立っていた位置。
か、返してほしいのは、その傘じゃないんだけど、な
我ながら笑えない冗談だと、東風谷早苗はひきつった表情でそれを見る。
あのままあそこにいたら、体のどこかに傘が突き刺さっていたのではないか。
毛穴が開いて、どっと冷や汗が噴き出す。ガラスを貫通するような勢いで、傘が飛んでくる道理など、ない。まして自分に向かって飛んでくるなんて、理由の少しだって思いつかない。
っ……!
危機感にスイッチが入り、その目で改めて落とし物コーナーの奥を見る。よく、見る。さっき幽かに感じた違和感を念入りに手探りするようにして。そして、気が付いた。
さっきやたらと沢山あちこちにかけられていた駅員の制服には、『中身が入っているではないか』。
中身入りの上着を壁や棚に留めているのは、まぎれもなく、傘だった。傘で体を貫かれ、向こう側に磔られている。まるで、虫ピンで留められた昆虫標本のように。
叫び声というのは、思ったよりも出ないものだ。妙に冷静な分析をする。
どこかに、誰かに危険を知らせようとする意思があるのでなければ、出ないのだろう。周囲に人がいないとわかっていれば……叫ぶための腹筋はそこから逃げるためのバネに使う。叫ぶための肺活量はそこから逃げるための呼吸に使う。叫んだ声で環境音が消えるのは、今何が起こっているのか分析するのに邪魔だ。何より、逃げ出すことに全力で、それ以外に自力を分散する余裕なんか、なかった。
立ち上がり、地下からの出口へ向かおうとしたところで、東風谷早苗は立ちすくんだ。
傘が、歩いている。
忘れ物センターの奥から、まるで投げ出されるような勢いで傘が飛び出してきている。そして出てきたその一本一本が、孑孑のようにぴょんぴょんと石突を地面について、跳ねていた。ただの傘であれば、何とも思わなかったろう。飛び跳ねていたとしても、さっきの串刺しを見なければ、ただ見呆けていただけだったかもしれない。ただ、今はそのどちらでも、なかった。
ぅっ!
あれら全てが、人を殺した傘だ。目を疑った刹那、傘が一本、先を向けて東風谷早苗めがけて飛んでいく。
かわせない、刺さる。あの駅員と同じように、壁に刺し止められる!
そう覚悟を決めた時に、目に入ってきたのは見慣れた色合いと取っ手。それは、東風谷早苗が取りに来た、自分の傘であった。
あっ……
刺さる、その恐怖を一瞬上書いた「私の傘だ」という意識、だが、それがなんだというのか。特に、自分の傘は先端部分の作りが鋭利であることもよくわかっている。それを知ったのは逆に恐怖を上積みした。目を瞑り、鋭利な傘が体に刺さる恐怖に身を縮こまらせた次の瞬間。
傘の軌道は東風谷早苗を避け、その横のコンクリート壁に突き刺さっていた。
自分の体に痛みがないことを疑ってゆっくりと目を開く東風谷早苗。目の前に、深々とその取っ手までがコンクリート製の壁に埋まった傘があった。傘の鋼材の強度を考えても、ありえない光景だ。いったい、何が起こっている。そして、こんなものに突き刺されたら。
死ぬ
1回目は嫌な予感がして回避できた、2回目は偶然外れたからよかったものの、ここまで来たら私は傘に狙われているとしか思えない。傘がつんつん跳ねている光景自体は奇怪ながらもメルヘンチックだというのに、明らかに殺しに来ているという自覚は正常な意識をざくりざくりと削ぎ落していった。
い、や……
東風谷早苗は、別に先端恐怖症というわけではない。だが、人間誰だって傘の石突で怖い思いをしたこと位あるだろう。目の前のコンクリに突き刺さっている傘を見ては、そういったこととは無縁にも、危機を感じずにはいられない。ただの骨で出来た傘が独りでに矢のように飛び、そしてコンクリートの壁にめり込んでいるだなど、理解の範疇を超えていた。後ろで飛び跳ねている傘一本一本が、殺人ボルトとなって自分を狙っているのだ。
~~~っ!!
出口への道を傘の群れに遮られ、逃げる先は改札方面しか残されていない。一目散に、走り出した。あっちになら、人がいるはずだ。大丈夫、改札方面はいつも通りに人がごった返していて日常のレールが敷かれているはず。戻りたい、オートメーションで進んでいく安全な日常は、なんてすばらしいものだったのか。その固定ルートから外れたいなんて願った私がばかだった、一刻も早く、いつものいつもに、戻りたい!
恐怖が足をもつれさせる。革靴が走りにくいのは承知の上だが、それを差し引いても自分の足に躓いて転びそうになる。幾ら運動神経が悪いとはいえこんなザマは普段はないことだったが、今ばかりは、そのせいで何度もつんのめり加速を阻まれてしまう。早く逃げなければ危険なのに、その焦りが再び足の稼動を狂わせる。実際に転倒もした。同様と恐怖のあまりに膝にうまく力が入らない。
背後では傘が跳ねながら移動しているが、転倒を挟みながらのお世辞にも早いとは言えない動きよりも、幸いいくらか遅い。東風谷早苗は、自分の体を意識で引きずるようにして逃げる。
そこの、角を曲がれば、改札までの視界が開ける。日常の光景が広がっている!
最後の一歩は走るというよりももはや頭から倒れこむみたい、へたり込む様にしてその曲がり角の向こうにある改札へ続く一直線のコンコースを見た東風谷早苗は。
散々常軌を逸する映像を見せつけられ、そしていよいよ正気目の当たりにした光景に、今度もやはり叫び声を上げる余裕は与えられなかった。目の前に広がっているのがなんであるのか理解するのに一拍を置き、そして理解と同時に、嘔吐した。
―次に到着する渋谷行き急行電車は、二つ前の駅を発車しました。しばらく、お待ちください。ただ時間通りに放送される無味乾燥のホーム案内が、冷酷に響いている。その案内に従って地下鉄に乗り込むものは、もういない。
目の前に広がっていたのは、ラッシュアワーで通勤通学にごった返していた人達が、一人残らず傘によって串刺しにされ、引きちぎれ、血を撒き散らし、天井に、壁に、床に、柱に、磔になっている光景だった。夥しい数の利用客全てが、どこから現れたのかわからない傘に、突き刺されている。
壁にピン留められたサラリーマン風の男は、まだ息がある。だが、脇腹の辺りを傘が貫通して、壁の足の付かぬ高さに留まっていた。脇腹には自重を支えるだけの丈夫な骨格はない、徐々に肉が引き裂けて、ずる、ずる、と真っ赤な擦り跡を壁に残しながらずり落ちていく。体がずり落ちるのにつられて、腹に開いた穴からは傘に引っかかった腸がずるり、と引っ張り出された。肩が動き呼吸をしているようだがもう意識はない、すぐに冷たくなるだろう。
天井にぶら下がるのは東風谷早苗と同じくらいの少女、天井に突き刺さった傘に鳩尾を貫かれて即死しているようだが、傘のハンドルのJ字に辛うじて引っかかり、死体は血を流す赤い肉シャンデリアになっている。手足はブラリと垂れ、流れ出る赤い液体はまだ勢いを保っていた。一つや二つではない、何十という人体が天井にぶら下がって、血と内臓をボタボタと落としてる。中には中身を傘に引っ掛けたまま体だけが床に落ち、細長く赤白の紐で繋がれたようになりながら不幸にもまだ息絶えることが出来にいる人もいた。
頭の中央を外されて頭蓋を下手に砕かれた中年女性は、前半分を抉り取られるように粉砕され半壊した頭部を側溝へ突っ込んで、痙攣している。生きてはいないのだろうが、脊髄反射だけが故障して暴走していた。その隣で柱に磔されている死体には、ハリネズミのように放射状に無数の傘が突き刺さっている。体の中程はミンチになって柱の根元に落ちており、腹の向こうに柱が見えた。頭がきっとそこにあったのだろう箇所へそれが形を失うほど執拗なまでに沢山の傘が付き立ちアザミの花のようになって、頭以外だけが力なく壁に崩れているものもあった。
危機を感じて扉を閉めたのだろう駅員は、しかし薄い壁を易々貫通した傘に壁もろとも脳天を穿たれ向こう側の壁に赤と白の花を咲かせている。逃げようと走り出した姿勢のまま地面に、壁に、棚に、人間標本として串刺された死体、死んでいるなら幸いかもしれない、まだ辛うじて息のある者が受付のガラス窓に向けてごぼごぼと血交じりの呼吸音を漏らしていたり、痛いよう、帰りたいようとか細い声で泣いているものもある。言葉にならない何かのうめきを漏らすだけの赤い塊もあった。
惨劇の演者は、一人や二人ではない。死体は、あちこちに転がっているという数でもない。ラッシュアワーで人がひしめき合っていた中、その全ての人が『こうなって』いる。ブラッドバス、この地下道全てが。床は照明の光を赤く照り返している。側溝と排水溝は赤い水で満たされている。改札内、ホームへの階段は、人の代わりに血の川が階段を下っていく。物言わぬ肉塊は折り重なっていた。傘一刺しで数人纏めて杭打たれていた。傘一本から何人も一緒にぶら下がっていた。山になった死体から傘が生け花のように生えていた。床に赤くない部分はなく、血塗られていない壁はなく、飛沫を受けていない天井はない。湿り気を帯びた鉄の匂いが、充満していた。
―まもなく、2番ホームに渋谷行き急行電車が到着します。白線の内側でお待ちください。~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!
とても現実の光景とは思えない。
傘?傘!?傘が、なんだっていうの!?なんでこんな風に!?
東風谷早苗はパニックに陥った。だが余りの動転に体は動かない。震え、喉は嘔吐を続け、視界は正面を捉えるのを拒否した。後ろに迫る傘の群れも、今は思い出す気にさえなれない。
頭の中が思考を放棄していた。意識さえ投げ出して、気を失いかけている。
ふっと、その真っ赤の血池肉林の中ほどに、人影を見た。
それは傘の大群の中央に立っている。少女、と形容してもいい輪郭をしてはいるが、それはあくまでも輪郭レベルの話だ。
肩にかかる髪は脂に濡れたようにべたべたと束を成した、絵の具のバケツの中のように濁った濁濃青。ちょうど、土砂降りの雨に降られた人間の髪がそうなるかの様、この地下に雨は降らないというのにだ。人の形を包む衣服は、緑青のようにざらついた色合いの襤褸布で、その下にある肉体をほとんど隠してはいない。襤褸の下にある肌も、土と区別がつかない位にくすんだ色合いで、ところどころ不自然にへこんだり欠けたりしているのは、それが人として常識的な形の肉体であると仮定するなら、その肉が腐って落ちた跡のようにも見える。
猫背で俯き気味、歩くときは左足を「びっこ」引いていた。下駄をはいているが、その下駄で歩いてはいない、足はあるが足の裏と下駄で地面を捉えてもいなかった。ただ、足という棒を乱暴に地面に突き立てて進んでいる。偶然に下駄の裏側で地面を捉えることもあるが、多くの場合は、あらぬ方向に曲がった足首の、その曲がった部分を地面に衝いている。足首の関節は粉々になっているだろうと想像させるようにぐにゃりぐにゃりと、その度に前に曲がったり外側に折れたり、体の一部として動かしている意思は無いように見えた。「びっこ」を引かれている左足は、その足首から下が失われている。左足を前に出すときには、千切れた断面を、ざく、ざくと地面に突き立てて短くなった足で、右足を引き寄せている。また、左手で一際大きな傘を抱えているが、その傘は時折まばたきもする血走った巨大な眼玉と裂けた口が描かれており、口からは舌のようなものが垂れ、更に唾液のような液体が滴っている。滴った液体は煙を上げて床材を瞬時に融かし、穴を抉っている。何らかの化学反応が起こっているのだろうが、強酸、では説明もつかない理解の及ばぬ液体らしかった。あの足でまともに体重を支えて歩けるはずもないことを考えると、あの目玉と口のある傘は、何らかの方法で浮力を生じ人の形の方を支えているのだろう。傘の手元には、干からびた足が括りつけられている。恐らくは、千切れて失われている女の左足首から下だ。
腐った少女死体にしか見えないそれは、手持ちのもの以外に、周囲に無数の傘を従えている。それら一つ一つには、遺留品のタグがぶら下がっており、それぞれどこかの駅の忘れ物センターに保管された傘だとわかる。それは、どういう理由か、宙に浮いていた。畳まれた姿のまま、中央の主人から見て放射状に先端を外側に向けた形のまま、浮遊しているのだ。更に地下鉄の坑道から、畳まれたままの傘の大群がまるで蚊柱が尾を引くように、主の後を続いている。その傘の群れを中央の化け物の足跡と見立てるのなら、それは別の駅から地下鉄の坑道を通ってやって来たものに思える。同時に、地下道だけでなく、地下鉄の中もこの惨状であることは想像に難くなかった。
俯いて海藻じみた髪の毛に隠れたその怪貌が持ち上がって、東風谷早苗の方を見た。頬の肉はほとんど削げ落ちており、顎と歯の骨が見えている。舌らしい肉が、骨だけになっている下顎の隙間から不自然に垂れていた。それだけならばただの墓場の死体の様でもあるが、しかしその上に備わる眼だけは、生きている人間、いやそれ以上に生々しく水気を湛えて、爛、と輝いている。
っ
左右で色が違うその目で見られただけで、東風谷早苗は再び嘔吐した。さっき胃の中は空っぽになったが、ほとんど空っぽの胃はそれでも体内のものを絞り出すように蠕動し、わずかばかりの胃液が糸を引いて地面に落ちた。見た目が気持ち悪いからではない、その姿を認識しただけで、本能が痙攣して不全を来している。視覚情報そのものに対して、不浄を感じている。一刻も早くあれの目の前から逃げ去りたいのに、体は動かなかった。恐怖を通り越して、もしかして、これは本能と体が『覚悟』した故の、麻痺かもしれなかった。
殺される……死ぬ……
声も出せず、全身を細かく震わせることしかできない東風谷早苗。ずり、ずり、と後ずさるが足にも腕にもろくに力が入らず、ほとんど動いていない。
―秋来宮、秋来宮。都営三反田線、世田谷バスセンター「セバスタ!」は、こちらでお乗り換えです。秋来宮、秋来宮。傘の群れをまとうゾンビは、そこだけが唯一それが生体であることを示す赤と青の目を禍く光らせながら、東風谷早苗の方へ、歩いてくる。折れた足で、欠けた足を引きずって、ゆっくりと。まさに死神が、歩み寄ってきているようにしか思えない。抱えた傘に描かれた巨大な目玉と三つで睨み付けられて、蛇に睨まれた何某。腰が砕けて身動きが出来ない東風谷早苗の目前に、傘率く亡者のグロテスクな片足が、現れた。曲がってはいけない方に曲がった足首と、千切れた口から骨の覗く足首。
上を見てはいけない、東風谷早苗の本能は顔を上げてその姿を認識するのを拒否していた。だが、化け物はそれを許さない。
二本の傘が東風谷早苗の両手首を、壁に楔打った。強制的に上を向けさせられ、悍ましい姿を目の当たりにする。
っ!?ああああああああ!!!!
タッカーのように、手首を傘で固定される。激痛、だが、苦痛はそれだけではなかった。
まるで十字架磔刑のように両腕を広げた姿勢で手首を傘で貫かれていると、自重はその手首で支えなければならない。吊られるような形になり肩が外れそうになる。と、化け物の傘がぬっと現れた。薄い傘の生地にある裂け目から、どうなっているのか分からないがだらりと、長い舌が垂れて伸びる。それが股の間に入り込んだ。十字に吊られた東風谷早苗の体を下から掬うように持ち上げる。
あ、が、っぎい、ひっぃぃいいいぁぁあっ!!!!
ぐじゅぅ、と熱く熱したフライパンに肉を置いた時のような音と、液体の中に空気を吹き込むような音を重ね合わせたような音が響いた。
傘の舌から滴っていた唾液は、床に垂れては大理石だろうがコンクリートだろうが金属だろうが、不可解に溶解させていた正体不明の消化液である。それが、東風谷早苗の太腿から股の間あたりを、侵していた。
あっ!!ぐっぎ、ぎ、ぎぎぎぎぎいぎぎぎいっ……げああああああああっ!!!!
白っぽい煙に混じって、たんぱく質が焦げる匂いと卵が腐ったような匂いが立ち込める。神経を錆びた金鑢で撫でまわされるような激痛、赤熱した鉄を無防備に触るような熱さ。
んああ、あああ、だ、だずげ……あづい、いだ、いぃ、いだいいだいいだいいたいいだい、あづい、あづいいぃいいっ!だずけえ、だれか、だれかたづげでぇえっ……!
傘の口から生える消化舌は、その数を増やしていった。太い1本だけだったのに加えて、細い管状のものが5本6本と増えて東風谷早苗の体に巻き付く。蛇が這うように巻き付きながら這う軌跡は、ごっそりと肉が溶けて抉れ真っ赤な中身が覗いた。
あ……あっ、う、ぇ
痛みと失血で擦り切れていく意識の中で東風谷早苗は、傘の舌の内何本かが自分の陰部に侵入してくるのを感じていた。勿論消化液をまとったままだ。数本が歪な螺旋に絡み合い太い一本となったそれは少しも躊躇することなく処女膜を突き破り膣を溶解させながら更に奥へ進んでくる。
ぐ、ぶぇ……
私きっと死ぬ。死ぬ前に、こんな初体験なんて、惨め過ぎる。東風谷早苗は薄れた思考で恐怖に悲しみと諦めを重ねた思考を巡らせる。
だが、どうしたことだろう。
さっきまでは焼けるような痛みで苦痛に苛まれ死を覚悟していたというのに、舌が膣を貫いたあたりでそれは和らいでいた。失血で感覚が麻痺したからか、意識が途切れて痛覚を失ったからか。死ぬ直前の揺蕩うような意識の中で、東風谷早苗はどこか心地よさを覚えていた。
膣を襲わない舌は、制服をたくし上げブラジャーを溶かし落として、成長中の柔らかな胸に巻き付いていた。じゅう、と音を立て消化反応は起こったが、それは先ほどには劇的ではない。皮膚が爛れ捲れるくらいで、肉が抉れたりはしていなかった。二本、三本、乳房に巻き付く舌はそれを揉むように蠢いて、細い先端が乳首を捏ねている。
ん、ぅんっ……
十字に磔られて広げられた腋にも、舌は伸びていた。綺麗に毛の処理をされたつるつるの腋の窪みを、乳首を捻るのと同じような細い舌が撫でまわしている。
んへ……ぁ、わ、き……❤
溶解液で組織がズタズタになっている陰部。絡み合う一塊の舌は細い舌を無数に分岐させる。それは、子宮と卵巣に吸い寄せられるように集まり、巻き付いていった。先の肉を溶かして掘り進み、網目に行き交った極細舌は、まるでボンレスハムのように子宮を締め上げる。卵巣を細く握り締める。
にゃ……に、ごれ、ぇ……っ❤おなか、しきゅ、どうなっ、れっ❤
巻き付いた舌は、心臓が脈打つように子宮と卵巣をぎゅう、ぎゅう、ぎゅうっ、っと緩急付けて締め上げ弛緩させる。水を含んだタオルを出鱈目に握ってびちゃびちゃと吹き出し垂れるその水みたいに、溶けて剥きだしになった子宮と卵巣が快感を噴き出していた。
んっぎ❤ぎ、ひぃっっ❤んお、おぉっ❤
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅぅっ
ひぃっ❤きもっ、ち、いぃっ……❤卵巣コリコリ、きもひぃぃっ❤
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅぎゅっ
しぬのに、わたし、しぬのにっ❤すごっ❤きもち、いっ❤
磔になった体がびくびく痙攣するのは、死に際の何か、ではなかった。舌触手に揉まれて形を変える白い胸は、手首から流れてきた血で赤く濡れている。乳首はぴんと勃起して興奮を訴えていた。その先端を舌が嘗め回すと、不自由な背を跳ねさせて快感に打たれている。股の間の肉を溶かしながらも体重を支えていた舌が、今はそれを放棄しているせいで体重は肩に預けられている。脱臼寸前まで延ばされた肩の関節を苛むように、腋を嘗め回す触手は弱酸性にまで弱まってただの粘液と化した消化液を脇に塗り広げる。酸がぴりぴり皮膚に響くが、今はそれも快感に転化されていた。
っぅぇっ❤んぐ、ほぇ❤きもち、い、ぜんしん、死にそうで、きもちぃっ❤
子宮と卵巣を締め上げ非常識の快感を押し付けてくる極細舌がその網打ちが終わるのを見計らったように、股間で待ち構えていた元の大舌がその先端を剥き出しになった子宮口へ宛がう。子宮は、肉体は、何かを勘違いしているらしい、その入り口をゆっくりと柔らげてその侵入を期待しているようだった。
締め上げる舌の隙間から肉を盛り上げる子宮に向けて、舌にコリコリと甘く潰されている卵巣は、出鱈目に卵、それどころか未熟な卵原細胞、それと、正気を消し飛ばすほどの性的快感を、どくどくと送り出している。どぼどぼと、出血も著しい。磔にされた壁には、まるで赤い小便を漏らしているように血が流れている。まだ死んでいないのが不思議なくらいだった。苦痛はない、さっきまで熱い金鑢が擦っていたのは痛覚神経だったが、今は、快楽神経に変わっていた。
だめ……い、ま、それ、きたら、イっちゃう……❤
白い肌が血の赤に彩られてその肌理を強調されている。中は、血の気を失っているのだ、白さを増しても不思議ではない。少女の体の滑らかな曲線は、死に際に与えられた無残な初体験と、尋常ではない快感に、踊りくねっていた。途切れ途切れの意識は、しかし、強く『挿入』を期待していた。剥き出しにされ血まみれの子宮でも、まだ体と接続されているのらしい、性的期待の膨らみが、そこをズクズクと疼かせている。締め上げる細舌の緊縛、入り口を突く舌への熱い期待。
はっ❤はっ、はっ❤はっ❤はっ❤
息が荒いのは『どちらのせい』かわからなかった。舌を垂らしているのは決して傘の真似ではないのだろう、東風谷早苗の口はだらしなく開き涎を垂らし、失血に明度を落とす視界は剥き出しになり狙いを定められている自分の子宮を捉えていた。自分の内臓を目の当たりにするグロテスク、それが快感と混じって停止しかけの脳を錯乱させていく。
はや、く❤死ぬ前に、私しんじゃう前に、ソレ、頂戴ぃっ❤イかせて……逝かせてぇっ❤はやくぅっ❤
東風谷早苗の決死のおねだり。傘の舌は、それを聞き届けた。
緩んでいたとはいえ、その舌の太さを受け止めるキャパシティは子宮口にはない。それを、無理矢理抉じ開けて舌が入って来た。少しずつ、細った先を押し込んで、捻ったり上下に揺すって押し込んだり。先端が入り込もうとして子宮の入り口を擦りあげる刺激でも、東風谷早苗は何度も達していた。正中神経が引き裂かれているため指が動くことはなかったが肘を張り、太舌が再び子宮ごと体重を支えたため余裕の生れた背筋を震わせて、小刻みに絶頂を表現している。
そして舌は、その頭で小さな穴を拡げ、子宮の中へ押し入った。
ぶずずっ
き、きらぁ……❤
死へ一直線だというのに東風谷早苗の声は、細いながらも歓喜に満ちていた。もう解像が正常ではなかろう目は半開きになり、口元はにやついている。もう苦痛はない、ただ快感だけが三途の川を流し運ぶのを待つばかりだ。
千切れるほど伸びた子宮口だが、一度侵入を許せば後は力づくで舌は侵入できるようだった。ゆっくりと、だが着実に子宮の中へ舌を押し込み、柔軟な肉袋の中でとぐろを巻く。子宮口が舌触手を導き入れる度、子を宿したことのない母袋は、まるでタイムアップを警告するように、膨らんでいく。
外側から細舌触手で締め付けられ、内側では極太の舌触手が暴れている。時折気紛れにずるずると引き抜かれたりもしながら、東風谷早苗の剥き出しの子宮は風船のように膨らんでいた。
ハひっ……❤ふーっ❤ふーっ❤いく、またイくよぉっ❤逝くよぉっ❤
子宮内で舌がのたうつ度に、磔の体を仰け反らせてアクメする東風谷早苗。乗った地下鉄は死への直行便だった。だけどそこに苦痛はなく、幸福そのものの表情で死を受け入れようとしていた。
子宮の一部が、そこにもう一つ風船が出来上がったように、より大きく膨れ上がった。肉が薄くなり、裂ける。膨らんだせいで細舌触手の隙間が大きくなり、子宮肉の裂け目と極細舌の隙間が重なり合うところから、太い舌が、飛び出した。子宮を突き破ったのだ。
んぎぃいぁあぁああああああああああっ!❤んもぢぃっ❤おなかつきやぶられて、いく、いくぅぅっ❤
元の太舌触手が子宮を突き破ったところで、他の舌の動きが変化した。子宮をボンレスハムにしていた細舌触手は突き破られ用済みになった肉袋を締め潰して引きちぎった。締め上げられる度に快感を爆ぜていた卵巣も、これが最後と圧倒的な圧力で締め付けられる。球形がバルーンアートのように変形し、そして。
ぶちっ
潰れた。
んぎぃいいいぃぃっ❤イぐ❤イぐイぐイぐイぐイぐイぐっ!!❤らんしょぉっ❤あかたんのもと、つぶれるの、しゅご、しゅっごぉぉぉっ❤
細い舌それぞれのの先端が、一斉にナマコの口のように開いた。ナマコのそれと違うのは、鋭い歯が円になって並んでいるところである。それらは一旦先端を引いて、もしそこに目があるのなら狙いを定めているかのように、停止する。
一拍置いて、歯口が生じた舌触手は、東風谷早苗の体あちこちへ先端を突き立てた。
ぎじゅ、じゅぶぐじゅ、と鈍い音を立てて、舌は東風谷早苗の体に穴を掘り、進んでいく。舌の先端にある歯は、地下トンネルを掘るシールドのように接触面を抉り穴を掘り、取れた組織を嚥下していく。
腹を撫でまわす太舌は、再び消化液の濃度を上げていた。白い煙と悪臭とともに、東風谷早苗の下腹部が溶解し、ゲル状になった体がぼとぼとと地面に落ちる。
あ、あひぁっ❤わたし、たべられて、る❤たべられちゃって、るっ❤お肉、食べられるの、きもちぃいっ❤もっと、もっとたべて、たべてぇっ❤
脇腹に、胸に、太腿に、鳩尾に、腋に、ドリルで穿ったような丸い穴が開く。何とか内部に納まっていた内臓がいよいよ決壊して外に、どちゃり、溢れ出た。
~~~~っ❤~~~~っ❤
絶命直前のアクメの波にもんどりうつ東風谷早苗。
最後に、溶けた子宮肉の残骸をぶら下げたまま、太舌の先端が、東風谷早苗の顔の前へ鎌首をもたげた。
あ、アタマ?あたま、ヤっちゃうの……?それスゴい、ぜったいしゅごい❤逝く前に、いっちばんスゴく、イケる、もっとイケるっ❤
手首を壁に杭打たれ、体中穴だらけになり、子宮を突き破られ、腹を溶解された東風谷早苗は、最期に貰う今までで一番大きな
オーガズムへの期待に、虚ろな薄ら笑いを浮かべる。き、ひぇ……❤
舌をはみ出したままの口から、求める声。同時に太舌は、東風谷早苗の頭蓋を砕いた。もろとも壁に大きな強打痕が生じ、亀裂が走る。
とどめを刺した太舌触手はゆっくりと東風谷早苗だったものから離れ、そして自らも口を生じてその死体を咀嚼して飲み込んでいく。それぞれの舌を通る東風谷早苗肉は、全てが女形の化け物が携える傘の口の中へ、送り込まれていった。
女形は、左右色の違う瞳を爛々と輝かせ、腐り落ちたように肉のない顎で、しかし確かに笑う。
東風谷早苗の肉をすべて平らげ終えると、また、ずる、ずる、と折れ曲がった足で、欠けた足を引きずり、歩き出した。
―秋来宮、秋来宮。傘などのお忘れ物の御座いませんよう、お気をつけ下さい。